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七五三にまつわる話・起源や由来

2016/07/19

今回からは、浅い知識ではありますが、七五三の由来などを書いて行きたいと思います。
インターネットで七五三にまつわるあらゆるページを読み、参照して書かせて頂きます。
全く知らなかった由来やシキタリなど、驚くことがたくさんありました。
お読みになって頭の端にでも記憶されているとイザという時に役立つと思います。
 
★ 七五三の起源
平安時代説や室町時代説があり、江戸時代に関東の武家社会から全国へと広まって行ったとの事です。
その時代には、栄養などの問題もあり幼児の死亡率が高く、氏子台帳や人別帳には生後3年ほど過ぎてから
登録したそうで、生まれてから無事に3年育ったというお祝いと感謝を込め、子供たちの成長の節目節目で
無事に成長を願う事で行われて来たという事です。現在の形式になったのは明治時代からで、
神様に感謝と無事成長を祈り、子供たちのお祝いとして今に至ってます。

 
★ 数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置き(かみおき)の儀」とし、主に女の子が行う
(男の子が行う例もある)。江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
★ 数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀(はかまぎ)」とし、男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
★ 数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解き(おびとき)の儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
★ 3歳=言葉、5歳=知恵、7歳=歯を神から授かることを感謝とする地方や、3歳、5歳、7歳は子供の厄として、
七五三を一種の厄祓としている地方もある。

 
★ 江戸中期、呉服屋がこの3つの行事を商業政策として取り入れ、1つにまとめ、江戸の町で宣伝しました。
これが今日の七五三の原型だと言われています。そして武家や有力商人などの間で流行したものが、
明治以降庶民に普及しました。
 

今日はここまで!次回は神社の鳥居について・・・

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